1998年に就任した金大中大統領は、対日政策において日本の「大衆文化」を容認する方向性を打ち出すなど、従来の「拒絶的警戒感」に満ちた姿勢から大きく転換したと言われている。同時に、北朝鮮に対する政策でも「太陽政策」と称される抱擁的な姿勢を鮮明にした。
1948年の大韓民国建国以降の韓国の国民統合理念構築においては、対日関係における「反日」と対北朝鮮関係における「反共」とが、政策レベルでも社会的・文化的部諸分野においても意識的・無意識的に中心に据えられていた。すなわち、現代韓国において「ナショナリズム」が語られるときに、「日本」と「北朝鮮」―特に「伝統」に照らしての統治の正統性において―とは、重要不可欠なキーワードであったといえる。今日の状況は、その二つのキーワードが次第に意味を失いつつあることを示しているともいえよう。
サッカーワールドカップの日韓共同開催―この決定がなされた96年5月段階では両国ともに極めて対決的・競争的な姿勢が顕著であった―を目前にした時点で、韓国社会で自己認識がどのように変化しつつあり、そこに「日本」が如何にかかわっているのか、その調査の第一段階として、関連資料の出版状況調査と韓国人研究者(近現代社会史関係)との意見交換を行った。